米水津小学校は豊後水道を望む海辺の学校

食のまちづくり条例、オーガニック憲章をつくり、オーガニックビレッジ宣言をしている大分県佐伯市。その海辺にある米水津小学校の5、6年生が地元の有機食材を使って給食メニューを作り、県内の学校、介護施設、病院のそのレシピを提供。これまでは食育の授業を受ける側だったのが、今度は食育を伝えるプレイヤーとなる体験となった。行政、学校、地元生産者、地元食品企業、市民が一緒になってサポートし、次代をになう子どもたちがプレイヤーとなった“食育とオーガニックの親和性”を象徴するモデルケースである。

フードビジョンのヒント

気づいているだろうか。

食育とオーガニックの親和性に。

2000年代に入り有機JAS認証制度がスタートし、続いて食育基本法、有機農業推進法が施行され四半世紀が過ぎた。食育もオーガニックもそれぞれに社会に受け入れられ、広がり続けている。

その認知、認識の広がりの要因に、これまで意識的でも戦略的でもないけれど、近年、互いの関係に親和性が顕在化し相乗効果となって、ともに成長しているように見える。特にコロナ禍から顕著になったように感じる。

そして注目すべきは、これからもさらにその親和性が強くなり、この国のフードビジョンの大きな柱となるように胎動していることだ。
しかし、その自覚はまだまだ乏しい。不十分だ。

とは言え、食育とオーガニックは食という土台の上で語られるテーマにも関わらず、長い間、まるで別物のようにちがうステージで動いていたことを思えば、今現在はどれだけ認識しているかどうか、気づいているかどうかは心許ないが同じスタートラインに立ち、スタートしたばかりなのかもしれない。

時系列でその軌跡を辿ってみる。

有機(=オーガニック)のマーケットが誕生

2000年に有機JAS認証制度が施行された。

これは当時EU諸国、北米中心に急成長し始めたオーガニックマーケットの潮流に乗ったのだ。日本でも国や社会が全く関心を示さない中で1950年代から有機農業はその先駆者たちの地道な活動が続いており、その流れが徐々に太くなっていく中でのターニングポイントとなった。

これは学生運動の全共闘世代が創設した「大地を守る会」からはじまった会員制の個別宅配(大地を守る会、らでぃっしゅぼーやなど)と桜沢如一氏が提唱したマクロビオティックの世界、自然農法を提唱する岡田茂吉氏の世界救世教など、独自のネットワークを形成していたそれぞれのクローズドマーケットが有機JAS認証という有機食品の基準のもとに一般の食マーケットに登場したことを意味している。
その後、すぐに海外の有機認証(EU諸国・北米など)と同等性を認められた有機JASが輸出入も含め、大手スーパーの参入などもあり、国内にオーガニックマーケットを形成し始めた。

そして残留農薬、食品偽装、化学合成食品添加物、狂牛病、鳥インフルなど矢継ぎ早に食の事件が起き、3・11原発事故で消費者意識の食の安心・安全志向が決定的なものになった。

その後、2019年末のコロナ報道までオーガニックマーケットはゆっくりとではあるが成長を続けてきた。

「食育基本法」施行。食育が学校教育に登場

食育は20年前の2005年、小泉純一郎内閣時代に議員立法で「食育基本法」が成立し、施行された。

それまで学校教育は長きに渡って「知育、体育、徳育」でなされていたが、突如として食育がそれらの基本であるとして教育現場に登場することになったのである。

「知育、体育、徳育」がこれまでの学校教育の根幹を成していたというのも、不勉強で初耳のような気がしたけれど、食育と聞いたとき、それは食事の行儀作法であり、家庭の食卓で親がしつけるものだというのが一般的な認識だったのではないだろうか。

だから食育をなぜ学校でやる必要があるのかと違和感を持つ人も多く、疑問視する声も聞こえてきた。また言葉が硬く、難解だという印象が強く、広がらないだろうと揶揄されもした。

実際、現場の担い手となる市町村の行政担当者から教師、栄養師、調理師に至るまで初めての経験なので、何から手を付ければいいのかわからず、手探りで始めるしかなかった。加えて食育という言葉自体も新しく、その意味、定義もすぐには理解、納得し難かった。各現場の担当者にも温度差があり、スムーズには進まなかった。

実際、1700余りの自治体も大きく温度差があり、消極的な自治体が圧倒的に多かった印象が強くある。

そうした中でも国は法律に基づいた「食育推進基本計画」を立て、5年サイクルで改正しながら、周知、実践、拡大、融合と調和と段階的にコンセプトを明確化して第1次から第4次までプロジェクトを推進。2026年4月からは第5次食育推進基本計画が稼働する。

その間に2011年には小学校の学校指導要領に食育の時間が設けられ、中学校は2012年、高等学校は2013年から授業に入るようになった。食育は学校教育に定着したのだ。

食育の草の根活動の威力

2005年、スタートダッシュとはならなかった食育の普及も、前述の食の様々な事件で小中高生の子どもを持つ親たちの食の安心・安全志向は高まった。

そして、子どもたちに蔓延するアレルギー疾患(アトピー性皮膚炎、花粉症、化学物質過敏症)の原因に食が大きく関係しているのではという気づきで、母親たちが中心になって全国各地、津々浦々で食の安心・安全と食育をキーワードに立ち上がり、草の根運動がはじまった。

この動きのはじまりは一つひとつの市町村規模であり、地域によっては一市民の声からであったり、学校単位だったりした。孤軍奮闘しながら徐々に他との情報共有が進み、やがて各地で頑張っている人たちがいることが見えてきた。

食育がどれだけ広がっているかの数値は計測できないけれど、2005年の食育基本法ができてから3年後の2008年、広辞苑に掲載された。これは食育が言葉として市民権を得たという一つの目安であり、食育活動が確実に広がっていることの証になったといえるだろう。

予期せぬコロナパンデミック

これまでオーガニックと食育は食の安心・安全を獲得するためにそれぞれのフィールドで広まっていた。そうした日常に2019年の暮れ、中国・武漢でのコロナ発生のニュースが全世界を駆け巡った。

翌2020年にはコロナパンデミックとなり世界中に蔓延。日本も4月から緊急事態宣言が発出され外出すらままならない状況になった。

緊急事態宣言は2021年9月まで断続的に発出され、コロナ禍は2023年5月にコロナが感染症法上「5類」に移行するまで続いた。

その間に自宅勤務を余儀なくされた仕事のスタイルがコロナ禍後も続き、おうち時間の過ごし方、コロナ感染防止対策に免疫力アップの食事法などとライフスタイルが劇的に変化した。

こうした変化はコロナ対策のために物理的に制限される中、それに対応するための意識の切り替えが起こり、価値観の変化にもつながった。食に焦点を当てるとその変化は具体的な行動として顕著に現れた。

食の安心・安全に興味、関心を抱き始めると無農薬・無化学肥料、化学合成添加物未使用の食品に目がいくようになった。それはおのずとオーガニックを手に取ることになる。すなわち食育活動をする人たちはオーガニックを知ることとなり、いずれオーガニックにたどり着く。そんな流れが自然にできた。

ここに至るまで食育とオーガニックを普及しようとしたプレイヤーは違っていた。食育に熱心な層はオーガニックの消費者ではあるがオーガニックを普及しようとするプレイヤーではなかった。それがコロナ禍から両方のプレイヤーになりはじめたのである。かたやオーガニックマーケットの反応は遅かった。

同じ食がテーマだけれども、食育はあくまでも教育活動でありマーケットは存在しない。オーガニックはあくまでも農業の世界、また農薬、化学肥料、化学合成添加物を使っていない食品という意味でのマーケットである。有機(=オーガニック)の周知(教育ではなく広報・PR)とマーケット拡大に意識は向いており、食育への関心を示す考えや意見はあまり聞くことはなかった。

しかしコロナ禍の真っ最中、食の業界、特に飲食業は甚大な被害を被ったけれど、オーガニックマーケットは例年より好調な伸びを示した。

それはなぜなのか。当初その流れの分析にあまり積極的な関心を寄せてこなかったように見受ける。もしくは気づかなかったのか。

当然購買者の数と層が増えたと考えて間違いはないだろう。ただそれがどういう消費者層でなぜ購買に至ったのか、第三者による調査分析はない。しかし食育活動に少なからず身を投じた人たちが含まれるだろうと察しはつく。

これは筆者がダイレクトに聞いた食育関係者と製造加工、流通、販売企業個々の声であることを断っておきたい。

この記事を書いた人

山口タカ
大分県佐伯市出身 や組代表 ジャーナリスト&クリエイティブディレクター(出版/マッチングコンサル) オーガニック、アウトドア、食育をテーマに活動。1997年に日本初のオーガニック専門誌「ORgA(オーガ)」創刊。 2001年に「オーガニック電話帳」を自費出版。以来、”ひとり出版社”と称してオーガニックの普及をライフワークとし、全国有機農家や食品メーカー、レストランなどを取材している。漫画「美味しんぼ」第101巻“食の安全”をコーディネートし、作中に“有機の水先案内人”として登場。近著に「東京オーガニックレストラン手帖」(辰巳出版)

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