「実証主義的科学観」が水俣病の被害を拡大させた
ぼくは今年で75歳になる。
未だに、有機農業とかオーガニックとか言っているのだが、そういう世界に入り込んだきっかけは1956年5月に公式発見となった水俣病に端を発する。ちょうど70年前のことだ。そもそもぼくは1951年に水俣で生まれている。
水俣病は、新日本窒素肥料株式会社(現チッソ株式会社:以降チッソ)の排水に含まれていた有機水銀(メチル水銀)が八代海沿岸の魚介類に蓄積し、その飲食によって発生した水銀中毒による神経疾患である。今でも残された問題があり、認定患者は3,000人を超え、死者も1,800人以上となっている。公式発見後原因不明とされていたが、3年後の1959年に熊本大学が有機水銀説を発表した。しかし国がチッソの排出した有機水銀が原因であることを正式に認めたのは1968年で、9年後のことである。公式発見からすれば12年後のことである。何故、この9年あるいは12年の空白期間が生まれたのか?
第一の理由は、熊本大学が有機水銀説を発表した時、すぐにチッソは反論に向かった。その時、反論作成の責任者として前面に立ったのが、実は当時の技術部長(後に水俣支社長、専務)だった私の父であった。当時戦後の復興を目指し、チッソは高度成長を担う化学工業界のトップランナーのひとつ、名前の通り最初の化学肥料のメーカーで、同時に近代を象徴するプラスティックやビニールの開発企業でもあった。いわば、1961年の農業基本法で目指した農薬や化学肥料の普及による農業の大規模化を実現していくのに欠かせない国策企業であり、経済成長優先の時代、国は完全にチッソの側にあった。
もう一つ当時の科学に対する考え方、「完全なる実証主義的科学観」があった。
父は、熊本大学の有機水銀説に対し、科学的実証の不十分さを理由に反論を展開した。この姿勢は当時の科学合理主義といわれるものの典型であり、後に国連やEUなどが中心に進められた国際環境法で確立される「予防原則」とは対照的なものであった。反論書では有機水銀説に対し「実証が伴っていない推論で結論を出すのは誤りだ」といった趣旨の主張がなされている。国もまたこの立場であり、それを問題にするなら実証責任は被害者側にあるという立場でもあった。
「予防原則」は日本の公害の経験を踏まえて確立されてきたのだが
日本では、民間においても完全な実証を求める科学至上主義は残念ながら今も続いている。その対極にある「予防原則」を確立する疫学的アプローチが大変弱い国となっている。経済優先、企業優先の対応は根強い。疫学的アプローチとは、引き起こされる現象から原因を推測し、大きな問題や被害が予測される場合は一旦その原因と思われる行為を止め、検証するということである。しかし当時は「実証的科学観」が支配していた。
水俣病でいえば、公式発見の1956年から国がチッソの排水に含まれていた有機水銀が原因と認めた1968年まで工場の操業は継続され有機水銀の排出は継続していた。そして患者発生が拡大し続けた。まさに因果関係が未確定であることが操業停止を阻む理由となっていた。もし1956年時点で操業停止していれば重症患者の多くは防げた可能性が高く、1959年に排出停止していれば、胎児性水俣病は激減、死者数も大幅に減少したというのが新しく展開された疫学的な調査による一般的評価である。
この結果から世界で採用されたのが「予防原則」である。それは「科学的に因果関係が完全に証明されていなくても、深刻または不可逆的な被害のおそれがある場合には、事前に規制・対策を取るべきである」という考え方である。証明されてからの対応では遅い。被害が出てからでは取り返しがつかないということだ。1972年の国連人間環境会議(ストックホルム)に初めて水俣病患者が参加。その惨状を訴えた。その結果、ドイツが先行しEU、国連での法制化が進み、世界は「証明優先」から「予防優先」へと進み1992年の国連環境開発会議(リオ)で、予防原則が明文化され、「科学的確実性が完全でなくても、重大または不可逆的損害の恐れがある場合は対策を延期してはならない」と「証明する科学」から「不確実性を管理する科学」、つまりリスク管理の考え方を明確にした。
そして残念ながら、「予防原則」に転換したはずの世界の中で、そのきっかけをつくった日本の公害の経験であったが、日本は未だ明確に転換し得ていないのが現実である。
「予防原則」と重イオンビームによる放射線育種米“あきたこまちR”問題
ぼくは、日本で「予防原則」が定着しないことに違和感というか危機感すら感じてきた。最近、特に民間の「科学」に対する考え方、いわんや社会問題を発見しその問題解決に取り組む市民活動にこそ必要な批判精神がとても弱くなっていることを感ずる。最近はなおさらその感を強くしている。
水俣病事件後、数多の食品公害、農薬禍、薬害、アレルギー問題や最近のシックハウス、発達障害者の増大などありながら予防原則の確立に向かって改善する兆しはない。最近では新たに化学的香りにショック症状を起こす「香害」という言葉も生まれている。
そもそも「科学は疑うところから始まる」ともいうが、「科学的根拠」といわれるものが次第に複雑に曖昧さを増していく多様な技術展開の中で、私たちは長い時間、歴史の中で培われてきた「確かなもの」から離れ、何が安全かを判断する間もなく、ますます広がる「不確実性」の中に生きている。
今回降ってわいたような“あきたこまちR”問題。国による十分な情報公開も説明責任もなくより強い放射線を利用した育種技術が日本の技術として進み始めている。今回、海外から大きなクレームのついた重イオンビームによる放射線育種米“あきたこまちR”だが、その触れ込みは放射線を使った遺伝子の突然変異を経て、カドニウムの吸収を抑える低カドニウム米の開発に成功したというものであった。遺伝子組み換えではないという評価で、これまでの“あきたこまち”と同等として表示もしないと決めている。
秋田県としては今後、これまでの“あきたこまち”の種子はなくし、すべてを“あきたこまちR”の種子とし、表示は“あきたこまち”に統一するということで、今年の秋田県産“あきたこまち”は重イオンビームによる放射線育種米に入れ替わっている。しかも国は、“あきたこまちR”を有機JAS認証の対象とすることを決定。消費者は情報を与えられることもなく選択の権利を失う。
ぼくは科学技術の発展を否定するものではない。しかし科学的根拠というものを100%信じているわけでもない。
日本の食品安全行政に進歩があったとすれば、そのきっかけは生活者、消費者の直感に始まる。それを非科学的というのは簡単であるが、それはその歴史を知らぬものが言うことである。これまで当初安全といわれた農薬や食品添加物などが直感から始まった問題提起で、最終的に科学的判断で禁止されてきたことがいかに多いことか。
「予防原則」とは経済優先や企業優先の考え方に対し、被害の拡大防止を重視し、生命の尊重を第一義とするものである。何を基軸に判断するか、何を大切にするかということを示す大切なものである。
予防原則と有機農業
ここで、「予防原則」が持つ意味を有機農業が果たす役割として表現すれば、もともと有機農業は、長い歴史の中で培われてきた方法を基本とし、自然の摂理、森が腐葉土から生み出す養分を地下水や湧水を通して運び、あるいは人の暮らしが作り出す有機物を発酵等によって養分化し土に返すなど、自然循環機能を活かす技術によって営まれる農業である。言ってみればゆっくりとして、時間をかけながら検証し発展させていく世界である。持続可能な農業、あるいは環境再生型農業といわれる所以である。
従って有機農業の原則は、予防の観点から遺伝子組み換え、あるいは遺伝子操作など不確実性の高い技術はとりあえず採用せず、何かあれば、人間がいつでも立ち戻れる農業の一つの分野として保全していくというものである。いわば人間の知恵として維持すべき分野である。その考え方がIFOAMやコーデックス委員会の有機農業の定義、原則に活かされている。
オーガニック&サステナブル通信 Vol.121(2026.02.19 配信)
徳江倫明ミニコラム vol.2
“あきたこまちR”と“予防原則” そして有機農業
▽IFOAMの「書簡」から有機農業を考える。IFOAM専門家オンライン講演2月27日開催
https://organic-press.com/news/ifoam-japan_news02/
この記事を書いた人

徳江 倫明
1951 年熊本県水俣市生まれ。’76 年早稲田大学卒業、㈱ダイエー入社。食品公害や環境問題への関心から、’78 年山梨県韮崎にて農場を設立、有機農業と豚の完全放牧に挑戦。同年、有機農産物専門流通団体「大地を守る会」にも参画し、’80 年から大地を守る会の活動に専念。’88 年には日本リサイクル運動市民の会と提携、有機農産物の宅配事業「らでぃっしゅぼーや」を興す。その後、’99 年有機 JAS 認証機関 「アファス認証センター」の設立を手がける。現在、(社)オーガニックフォーラムジャパン会長、(社)フードトラストプロジェクト代表理事、(社)生きもの認証推進協会代表理事、(社)CSR 経営者フォーラム会長。「オーガニックライフスタイルEXPO」の主催、セミナーやスタディ・ツアーの企画運営、講演、執筆、農場経営、新規就農者支援等に東奔西走の日々を送っている。